海外バレエレポート(イタリア)7
「Jas Art Ballet」
『Ravel Project』
今回は、創立されてからまだ数年で、イタリア国内での地位を既に確固たるものにしたといっても過言ではない、新しいタイプのバレエカンパニー「Jas Art Ballet」のミラノ公演についてレポートしたいと思います。
「Jas Art Ballet」は、スカラ座の元エトワールのカップル、サブリナ・ブラッツォSabrina Brazzoとアンドレア・ヴォルピンテスタAndrea Volpintestaによって立ち上げられたコンテンポラリーを主とするバレエカンパニー。その目的とはひとえに若手にダンサーとしての仕事のチャンスと将来を与えることに尽きます。今のイタリアは、ダンスのアカデミックな教育を終えたにもかかわらず行き場所がない若者で溢れています。国内各地で劇場、オーケストラ、バレエ団が閉鎖されるニュースが後を絶たず、国や地方自治体の芸術に対する理解の薄さに心を痛めている芸術関係者は多くいるに違いありませんが、彼らのように実際に、経済的・行政的な多くの苦難を覚悟しても立ち上がる人はそういません。ダンサーとして国際的な活躍をしていたこの2人の勇気と行動力に、個人的に心から賛同せざるを得ません。創立者をはじめ、オーディションで選ばれた若手ダンサーたち、振付家、さらにはこのカンパニーを取り巻く全てのスタッフが、金銭や名声ではなく、純粋にバレエという芸術のために情熱を惜しみなく注いでいる。その気持ちと姿勢は、舞台からもひしひしと感じられ、大きな劇場のバレエ団とは全く違う熱気が感じられるバレエカンパニーです。
彼らのホームシアターであるカルカノ劇場は、ミラノの中心に位置し、今は演劇の上演が多いものの、かつては多くの名オペラの初演が行われた歴史がある劇場です。劇場付属のバレエ学校もあり、実はバレエの公演も少なくありません。また、現在はスカラ座のようなオケピットはなく客席が非常に舞台に近いため、逆にバレエの迫力が間近で感じられる劇場でもあります。
さて、今回の「Jas Art Ballet」の公演のタイトルは「Ravel Project」。その名の通り、ラヴェルの音楽を使用した3つのコンテンポラリー作品が上演されました。
まず1つ目の作品は「Piano」。振付家はマッシミリアーノ・ヴォルピーニMassimiliano Volpini。スカラ座ダンサー時代から振付家として多分野で活躍し、2014年の退団後は振付の仕事に専念、最近では2016年4月に「Il giardino degli amanti」が上演されました。今作品の音楽はラヴェルのピアノ作品のコラージュ。それが舞台上右側に置かれたグランドピアノで演奏される傍ら、その調べに乗って、6人のダンサー演じる3組のカップルが、互いに交わり、愛をささやき、すれ違い、といった様々な小さなストーリーを繰り広げました。振付家自身は次のように述べています。「一つ一つの動きが言葉であり、それらは囁きのように、極めて内密な人生の断片を描く」。具体的なストーリーがあるわけではないのですが、全体として通して見ると、その欠片がモザイクのように合わさり、見終わった後は、まさに恋愛短編小説を読んだような感覚に襲われました。3部作の最初に相応しい、美しい通り風のような爽やかな作品でした。
2つ目の作品は、ロンドン・コンテンポラリー・ダンス・スクールを卒業した、才能溢れる若き振付家ジョルジョ・アッツォーネGiorgio Azzoneによる「La Valse」。この演目は、音楽自体が持つ爆発的なエネルギーを基に、アルコールやドラッグに依存する若者たちを描いたもの。この音楽は実際に、第1次世界大戦のカオスの真っ只中に作曲されたものであり、振付家は「この音楽の中に、強い閉塞感や不満足感から解放されたいという強い欲求を見出し、このテーマを選ぶに至った」と語っています。最後にアルコールやドラッグがどれほど人間を崩壊に向かわわせるか、その悲しい終末を描いて終わる本作品は、一見するとメッセージとしては平凡と取られるかもしれませんが、舞台から与えられる衝撃はあまりにも激しく、終わった時は一瞬頭が真っ白になったほど。ダンサーたちは自らの肉体と表情を200%使って力尽きるまで踊り、幕が閉じた後は、劇場全体がセンセーションに見舞われました。この振付家の最も素晴らしい点は、動きを見れば一目瞭然に彼の振り付けだと分かる独自性。それはどのジャンルの芸術家にとっても一番重要なもので、それを彼は有していると強く感じます。間違いなく将来が実に楽しみな振付家です。
3部作最後の作品は言わずと知れた「Bolero」。ベジャール振付があまりにも有名な中、この名曲の振付に挑んだのは、振付家、またバレエ団の芸術監督として世界的な活躍が目覚ましいフランチェスコ・ヴェントリッリアFrancesco Ventriglia。彼も元スカラ座ダンサーですが、早くから振付家として頭角を現し、今日ではスカラ座、ボリショイ、マリンスキーでも彼の作品が上演されています。そんな彼が振り付けた「Bolero」とは一体どのようなものだったのでしょうか?
ヴェントリッリアの意図は非常に興味深いものでした。フェイスブックやツイッターなど顔の見えないコミュニケーションが横行する現代の社会を、ジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画に登場する顔のない人間に重ね合わせたのです。群舞のダンサーの頭部は黒い布ですっぽりと覆われ、顔が隠された状態で、どこに向かえばよいかわからず、苦しみもがきます。一方、例外的に顔が覆われていないのが、サブリナ・ブラッツォ演じる、舞台上の一段上にいるソリスト。一見女性でありながらも背中の筋肉が異様に盛り上がっていて性別は不明。このミステリアスな人物もまた、形而上絵画の特徴同様、強い不安を掻き立てます。彼女は、バーチャルツールを通してではない、人間同士、体と体、心と心をぶつかり合わせる術を知る唯一の存在で、群舞を自分のいる一段上のステージに導こうとしますが、それは彼らにとって容易なことではありません。中には一時的にマスクを取り去り、彼女に近づける者もいれば、それすら出来ない者もいる。このような黒い頭を持つ群衆の葛藤がこの作品では描かれています。個人的には、現代社会の抱える非常にタイムリーなテーマを、ここまで洗練された芸術として再現した振付家のアイデアと力量には大変驚かされました。また、長い黒いスカートと黒いマスクが印象的な舞台は、美的にもミニマムで非常に美しいものでした。そして最後に、中性的なソリストを踊ったサブリナ・ブラッツォの圧倒的なカリスマ性に言及して筆を擱きたいと思います。
スカラ座バレエ団以外にも、イタリアにはこのようなハイレベルかつ革新的なカンパニーがあります。今後もこのカンパニーの活躍から目が離せません。
記事:川西麻理
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投稿日: 2018 年 6 月 4 日
カテゴリ: 海外のバレエレポート