【PICKUPについて】

このコーナーはバレエナビが取材させて頂いたホットな話題を取り上げております。
バレエやダンスに関する人・商品・サービス・イベント・公演など取り上げさせて頂く話題は多岐にわたります。
ご期待ください!

PICK UP!

地主薫(地主薫バレエ団&地主薫エコール・ド・バレエ主宰)インタビュー
~自分たちの色を出し、どんどん挑戦し、伸びていきたい~

倉永美沙さん(ボストン・バレエ団)、奥村康祐さん(新国立劇場バレエ団)、金子扶生さん(英国ロイヤル・バレエ団)らトップ・ダンサーを育てられている地主薫先生。1988年、大阪に地主薫エコール・ド・バレエを設立し同時に地主薫バレエ団を結成されました。古典作品と創作バレエを精力的に上演し今秋舞踊生活50周年記念公演を行います。生い立ちから今後の展望、そしてバレエを習っている若い方へのアドバイスをお伺いしました。

取材・文:高橋森彦(舞踊評論家)

 

大阪府吹田市のスタジオにて撮影:尾鼻文雄
大阪府吹田市のスタジオにて 【撮影】尾鼻文雄

バレエを始めた頃の話をお聞かせください。
大阪の高槻に住んでいました。小さな時から走り回るのが好きだったんですよ。田舎でしたし土手を走ったり芥川という川を渡ったりして日が暮れるまで遊んでいました。バレエとの出会いはお友だちの発表会でした。小さな公民館での舞台でしたが別世界みたいにキラキラしていて凄く素敵だなと。バレエを初めて間近で観て、その日は寝付けないほど感動し習いたいと親に必死で頼みました。週1回法村友井バレエ学校高槻教室で三宅田希子先生に教わることになりました。10歳でした。背が高いだけで大きい子のグループに入れていれていただき嬉しかったです。

高校生になって法村友井バレエ学校ジュニア科に入ります。
教室の先輩にバレエ団で活躍されている下田春美先生がいらっしゃいました。下田先生が「もっと踊りたいなら本部のジュニア科に行かせてもらったら?」と勧めてくださいました。本部では友井櫻子先生や法村牧緒先生に学びました。ジュニア科では皆グラン・バットマンで180度近く脚を挙げていて驚きました。稽古場が広かったのでグランワルツでも色々なパを組み合わせて踊り、1つの作品のように感じてカルチャー・ショックでした。そこからもっとモチベーションが上がり本部のある天王寺まで週3回位通い続けプロになりたいと思いました。

『白鳥の湖』(2004年) 地主薫&高岸直樹 撮影:尾鼻文雄
『白鳥の湖』(2004年) 地主薫&高岸直樹 【撮影】尾鼻文雄

高校卒業後に法村友井バレエ団に入団しました。どのような役を踊られましたか?
入団当時コール・ド・バレエのなかで1人背が高かったんです。石川恵津子(惠己)先生や宮本東代子先生も高かったのですがプリマでいらっしゃった。群舞のなかに並んでいると友井唯起子先生に「地主さん、プリエしなさい!」と言われました(笑)。少しすると『眠れる森の美女』のリラの精とか『シンデレラ』の仙女とか導く役というか棒を持った役(笑)をいただくようになりました。『ドン・キホーテ』では森の女王も踊らせていただきました。リラの精を日本バレエ協会関西支部の公演でも踊る機会に恵まれました。

法村友井バレエ団では創作も踊られましたね。
創作で印象に残っているのは唯起子先生の『地獄変』です。柔軟性があったからだと思いますが蛇の役を踊らせていただきました。先生の振付は、ある動きを教わったとしても次は全然違う方向から始まったりします。前の方向だと「違う!」と怒られる(笑)。音はちゃんと取っていらっしゃるのですが自由で「感性の振付」でした。当時の先生方はキャラクター・ダンスも凄いんです。唯起子先生の時代にはスペイン舞踊のクラスもありました。私もカスタネットを打てるようになりました。
バレエ団に入って石川先生や東代子先生の助手となり子供たちの指導や振付を学ばせていただきました。唯起子先生はことあるごとに踊りや振付の感想を直接伝えてくださる。夏のカーニバルの時に高校生くらいの生徒たちに作品を創ると「面白かったね」と。それがバレエ団のために創り直して日本バレエ協会関西支部の公演やバレエ団がイヴリン・ハートさんをお呼びしたコンサートで上演する機会をあたえていただいた『THE FLAME』です。踊りではよく叱られていましたが創作では褒めてくださり嬉しかった。

『ロミオとジュリエット』(2008年)第1幕倉永美沙&奥村康祐 撮影:尾鼻文雄
『ロミオとジュリエット』(2008年)第1幕 倉永美沙&奥村康祐 【撮影】尾鼻文雄

1988年に地主薫エコール・ド・バレエを設立されました。
結婚して子供(奥村康祐)ができましたが、バレエ団で踊り、教えの仕事もしていました。2人目(奥村唯)がお腹にいる時(4か月)にも『くるみ割り人形』のアラビア、『白鳥の湖』の大きな白鳥、スペインを踊っていたんですよ。でもやはり子供が2人になると大変になり子育てに専念してもいいかなと。教えるのは好きだったので退団しても続けました。子供の発表会をするようになると、また自分も踊りたくなりました(笑)。初めの頃は夏山周久先生をお呼びして古典を上演していました。

ご指導の際に気を付けていらっしゃることは?
いつも一生懸命を心掛けています。まず自分のテンションを上げて子供の気持ちがレッスンに向くように。それとバレエのテクニックを教える時に色々な言い方で皆に分かるように伝えようとします。引き上げて立つ時には「体が浮きあがってしまわないように自分が突っ張り棒になったみたいに天井と床を押しなさい」といった言い方をします。お尻を締めるのにどうするかという時には「お尻のほっぺをキュッと上に持ち上げてハートマークになるように締めなさい」「ハートマークが下向きになるような形にならないように!」というように説明します(笑)。
自分の創作に繋がるのですがヴァリエーションも物語だと思うんです。「あなたって、私って」と思うから良いのであって、それを「左からこう動かして……」と角度を説明しても、なかなか上手くできない。年齢が上の子だったら好きな子を思う時の気持ちがあるでしょう?その気持ちを出すようにと言います。
体型や資質が恵まれた子ばかりではないので、その子から何を伸ばしてあげるかを考えて指導しています。団員や生徒に舞台やコンクールの時など一言でもアドバイスを入れて手紙を渡すようにしています。緊張している子には「ドキドキをワクワクに変えて踊りなさい!」というふうに。

『ロミオとジュリエット』(2008年)第3幕倉永美沙&奥村康祐 撮影:尾鼻文雄
『ロミオとジュリエット』(2008年)第3幕 倉永美沙&奥村康祐 【撮影】尾鼻文雄

倉永美沙さん、奥村康祐さん、金子扶生さんのジュニア時代はいかがでしたか?
3人とも素晴しくバレエが好き。ひたすらがむしゃらに稽古をした。倉永はトレーニングマシーンとあだ名を付けられた位です(笑)。3人は私が「うん」というまで稽古を止めない。何百回でもやる。1回できても「大丈夫」と言わず連続でクリアできるまでやる。できなかったら1からやり直す。私の変わったしつこい指導を嫌がらずに最後まで集中して受けてくれました。素晴しく素直で「もういいやん!」「そんなこと言われても……」というのがない。
奥村と倉永は1歳違いで幼い頃からいつも一緒にレッスンしていましたが、互いに競って最後まで練習するほど負けず嫌い。コンクールに出るようになるとで倉永はいつも1位。でも奥村は結果が出ない。倉永がモスクワ国際バレエコンクール金賞の時も予選落ち。しかし4年後にモスクワで予選通過し、さらに4年後にはモスクワとジャクソンで銀賞をいただきました。そこまでモチベーションを保てたのは凄いなと。腐らず地道に頑張ってきた。
金子も今では資質に恵まれていると言ってもらえますが、入学当初の小さなころは、さほど目立つ子ではありませんでした。ただ私が指導している時いつも目をキラキラさせて話を聞いていたのが印象的です。彼女もまた1つひとつ階段を登るように努力して伸びていきました。

奥村康祐&金子扶生『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』モスクワ国際バレエコンクール(2009年)
奥村康祐&金子扶生『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』モスクワ国際バレエコンクール(2009年)

内外のコンクールで多くの入賞に導き審査員を務めることもある立場からコンクールについてのお考えをお聞かせください。若い人へのアドバイスがあればお願いします。
海外のコンクールではパ・ド・ドゥでもヴァリエーションでも客席が1つの舞台・パフォーマンスとして観て楽しんでいる感じがする。だから踊りやすいのかもしれない。日本のコンクールでは審査員にだけに向かって踊っているように感じる時があります。目線とか気持ちが審査員に向いていて後ろがない感じの人もいます。コンクールと言えども心から楽しんで踊れば人それぞれの魅力が出ると思います。入賞しなかったから、誰かに負けたからダメだとかではありません。稽古したり研究したりその子の伸びるきっかけになる。一生懸命になる時間が増えるのは良いと思います。人生の1ステップとして捉えてほしいです。

地主薫&奥村康祐&金子扶生モスクワ国際バレエコンクールにて(2009年)
モスクワ国際バレエコンクールにて(2009年)

団員・生徒に男性が多い印象を受けます。どのように指導されているのですか?
最初は少なかったです。バレエ団には大人になって始めた子もいます。レッスンには必ず誰か男性がいる。スクールでもボーイズクラスは設けていませんが各年代に男の子がいます。だから来やすいのかもしれません。センターレッスンで違うパを組みますが基本的に男性も女性も同じクラスで一緒に教えています。奥村康祐も5歳から私が自分で教えました。

『アリ・ババと40人の盗賊』(2006年) 撮影:尾鼻文雄
『アリ・ババと40人の盗賊』(2006年) 【撮影】尾鼻文雄

バレエ団公演の方針を教えてください。
当初は学ぶ意味もあり古典を続けて上演しました。物づくりが好きな団員が出てくると創作も発表しました。赤松優先生に『ボレロ』を創っていただいたこともありました。石田種生先生との出会いは忘れられません。種生先生に創っていただいた『竹取物語』はいつか再演したいです。クラシック・バレエが基本のバレエ団ですが、どんどん挑戦したい。2009年のモスクワ国際バレエコンクールで音楽性豊かな作品を観て惹かれたコンスタンチン・セミョーノフさんにはトリプル・ビル公演をお願いしました。
私もスクールの生徒のために『人魚姫』『おやゆび姫』『ターザン』『桃太郎』などを創りました。バレエ団に創った『シャンゼリゼの帽子屋』は団外も含め何度も再演されています。創立20周年記念公演で上演した『ロミオとジュリエット』はロシア版をベースにパ・ド・ドゥを改訂しジュリエットの寝室の場面の演出を変えるなど工夫しました。創立25周年記念公演で取り上げた『シンデレラ』ではシンデレラが屋根裏部屋に住んでいます。彼女の孤独が伝わるのではないかと思いました。古典でも様式から外れないようにしつつお客様に物語が伝わればと考え演出を変えています。舞踊生活50周年記念公演で上演する『アリ・ババと40人の盗賊』も私が脚色してお話を膨らませました。お客様に楽しんでいただける舞台を心がけて作っています。

『シンデレラ』(2013年) 奥村唯&アントン・サヴィチェフ 撮影:尾鼻文雄
『シンデレラ』(2013年) 奥村唯&アントン・サヴィチェフ 【撮影】尾鼻文雄

今後の展望をお話しください。
スクールに関しては法村友井バレエ団・学校で育ってきたので、これまでどおりワガノワ・メソッドで指導していきたいと思います。団としては大きくはないし長い歴史があるわけでもありません。でも、だからこそ冒険ができます。色々なことに挑戦して皆が伸びていけたらいいなと。古典でも地主版としてやっていきたい。どんどん自由に色を出して活動していきたいと思います。

 

 公演情報 
地主薫バレエ団 地主薫舞踊生活50周年記念公演
『アリババと40人の盗賊』

日時:2014/10/19 (日)
会場:フェスティバルホール 大阪府大阪市北区中之島2-3-18
演目:アリババと40人の盗賊
お問い合わせ:地主薫バレエ団 06-4977-0095
詳細はコチラ ⇒ http://jinushiballet.jugem.jp/?eid=34