法村珠里インタビュー ~バレエの「血」が脈打つプリマ、挑戦のとき~
法村友井バレエ団は1937年、日本の洋舞の草分け石井漠の高弟・法村康之(1904~1966)と妻の友井唯起子(1918~1983)によって大阪で創設された。創立75年を超える舞踊界屈指の老舗。名門中の名門である。その三代目にあたり現在プリマを務めるのが法村珠里だ。端麗な容姿と美しい身体のラインを兼ね備えたバレリーナである。きたる10月、満を持して『白鳥の湖』全幕に挑む。これまでの軌跡や現在の心境について語ってくれた。
バレエ一家に生まれて
父は団長で我が国を代表するダンスール・ノーブルであった法村牧緒。母は長きにわたりバレエ団のプリマ・バレリーナの座に君臨し旧ソ連や欧州でも踊った宮本東代子。兄はノーブル・ダンサーとして著名な法村圭緒。バレエ一家に生まれ育ったサラブレッドだ。
「母のお腹にいるときから踊っていました(笑)。バレエを始めたのは3歳。気がつくと習っていました。石川恵己(旧名は恵津子、2013年5月没)先生のクラスを受けていました。やんちゃな子でした。バーにつくのが嫌で、ずっと先生の横にいたような気がします。初舞台も3歳のとき。『親指姫』の主役でした。蝶々さんたちに抱えられて出てきて……」
小中学校そして高校に進学してもバレエを続け法村友井バレエ学校特別クラスで学ぶ。順調な歩みのようにも思えるが人知れぬ葛藤もあったようだ。
「親の重圧が厳しいときもありました。家に帰ってもバレエ。学校に行っても発表会の前など落ち着かない。お友だちと遊べないときも多かった。辞めようと思ったことは何回もあります。 (父親が団長であるという)プレッシャーもありました」
転機となったモスクワ留学
18歳のときロシアのモスクワ舞踊学校に留学し2年間学ぶ。父・兄はサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場系列のワガノワ・バレエ・アカデミー(旧レニングラード・バレエ学校)出身。法村友井バレエ団も優美さを重んじるワガノワ・メソッドを導入している。しばし比較されるモスクワのボリショイ劇場系列の名門で学んだ理由とは?
「ワガノワに行く予定だったのですが、担当の先生が違う方になりそうだった。モスクワを選んだのは直感です。ワガノワ式を習っていましたが自分を魅せる存在感はモスクワの方が大きい。そういうところが弱かったというのもあります」
モスクワでの2年間はバレエ漬けだったという。そこで転機が訪れる。
「向こうに行くと皆バレエが好きだし、右を見ても左を見てもバレエしかない。そういう環境で学べたのは大きかった。バレエに向いているのかな?と自信がなかった時期もありましたがモスクワに行って迷いが無くなりました」
同級生にはボリショイ・バレエ団を経て現在ミハイロフスキー劇場バレエ、アメリカン・バレエ・シアターのプリンシパルであり、今シーズンから英国ロイヤル・バレエ団のゲスト・プリンシパルになったナターリア・オシポワもいた。
「モスクワでがんばって世界中で輝いている人を観ると私もがんばろうと思うし、今でもいい友達です。オシポワはバネが凄い。強靭。あんな人はめったにいないですよね。一番自分に対してストイックでした」
プレッシャーをエネルギーに変える!
留学中にプロとして踊り続けていく決心を固め、卒業後は法村友井バレエ団に入団する。
「踊ることでしか自分を評価できないんですね。バレエしかやったことがない。バレエしかさせてもらえなかった。踊ることでしか表現できないのなら、それで評価されようと」
バレエ団に入った当初は父・牧緒の指導を受け鍛えられた。
「毎日泣きながらのレッスンでした。厳しかったですからね。今考えると娘だから甘やかしているように見せたくなかったんだと思う。だけど、それがあったから今強くなれるんです。いろいろ言われるのは宿命。それで壊れる人間ではない。バネに変えてしまう」
修業時代の珠里にとって母であり師である宮本、兄の圭緒の存在は心強かったという。
「兄は昔から見守ってくれる人。支えられている部分が大きかった。年も離れているしお兄ちゃん子だったんです。母は一番偉大な先生。越えられない壁。超えたいけれど多分無理なんですね。私には私にしか出せない部分がある。いつまでも教わっていたいです」
周囲や世間からのプレッシャーすら取り込み前向きなエネルギーに変える――。近年の舞台に接すると、重圧から解き放たれ振り切れたかのよう。堂々たるプリマぶりだ。
「プレッシャーに負けている時間はないですからね。いつまでも付いて回ることだから。先輩方には温かく受け入れてくれる人が多かった。いまは先輩・後輩いいバランスで良く接してくれる。ありがたいです。(振り切れたように感じたならば)特に何かがあったわけではありません。年齢を重ねるにつれて自分のなかで自信に変わっていったのでしょうね」
バレエの「血」を財産に
2005年の『シンデレラ』で初のソリスト役を踊り2008年には『眠れる森の美女』全幕でバレエ団本公演における主役デビュー。それから5年――。珠里はそう聞くと、こう返した。「まだ5年?」。一つひとつの舞台に誠実に取り組んだ濃密な歳月だったのだろう。内外のバレエコンクールに挑み上位入賞を重ねた。大舞台であるほど輝く勝負強さを感じる。
「大舞台だから努力するわけではないし、大きくみせようとしているわけでもありません。お客様の目に残像として残るよう動きの一つひとつに心をこめる。そういう努力のほうが大きい。でも、やっぱりバレエの「血」が流れているんでしょうね。友井先生からの……」
2010年6月に踊った『ドン・キホーテ』キトリ役の艶やかな極まりない演技に対し祖母である友井を彷彿とさせるという声が方々から上がる。友井は『シェヘラザード』ゾベイダなど柔軟な肢体を生かした妖艶・情熱的な踊りによって一世を風靡した。
「友井先生は私が生まれる前に亡くなっています。周りの人からは生まれ変わりってよく言われる。母にも言われます。性格も動きも似ていると(笑)。母にも似ているんですね。母の踊った『海賊』の映像を観ると似ていると思う。自然と似てくるのでしょうね。自分のなかでの財産。大切にしていかないと」
思い入れのある作品・役柄を聞くと演劇性の高い作品が挙がった。
「『エスメラルダ』とか『アンナ・カレーニナ』とかドラマの濃いバレエですね。表現することが好き。キャラクターの濃いのが好きなのかもしれません。『ドン・キホーテ』も好きな作品です。キトリ役には遊びの部分がいっぱいあるので楽しい。私、最後の舞台は『ドン・キホーテ』がいいなと思っています(笑)。それくらい好きですね」
『白鳥の湖』に挑戦
この秋、クラシック・バレエの代名詞と称される『白鳥の湖』全幕に初めて挑む。
「私のなかでは神のバレエでした。まだ足を踏み入れてはいけないのではないかという怖れがありました。お客様たちのイメージを潰してはいけないという気持ちばかりありました。だけど、それは『眠れる森の美女』にしても『くるみ割り人形』にしても同じこと。リハーサルが始まると不安は吹っ飛びました」
オデット(白鳥)&オディール(黒鳥)の二役を踊る。
「はかなくて、ちょっとさわったらサラサラと崩れそう――それがオデットのイメージです。小さいときに観た母の舞台からくるのですが。オディールは芯の強さが表に出ている。怖れを知らない。両極端なキャラクター。オディールしか踊ったことがないし、黒が自分にあっていると思っていたのですが、白もおもしろい。それぞれのイメージを出せれば」
1990年代中心に多くの主役を踊った杉山聡美の指導を受ける。立場・環境は違えども若くして天下の法村友井バレエ団のプリマの看板を背負った点は相通じよう。本番が近付くと宮本のチェックも入るという。歴代のプリマが培ってきた経験を惜しみなく珠里に伝える。
「聡美先生にはポジションだとか魅せ方だとか形の美しさの部分に関して教えていただいています。踊っているときの心の持ち方とか相手とのコミュニケーションのあり方など自分の甘い部分も教えていただける。母も見てくれます。母の「白鳥」のイメージが強いので教えてもらえるのが嬉しいです」
最後にみどころと抱負を語ってもらった。
「第二幕、第四幕の白鳥たちの群舞、第三幕のキャラクター・ダンスはみどころです。私は第一幕も好き。明るいところから始まることによって静かな湖の場面が引き立つ。一人ひとりのダンサーの魅力を観ていただきたいですね。建て替わったフェスティバルホールで上演されるのも楽しみです。大きくて観やすい素晴しいホール。私はこれからロシアに行って王子役のアレクサンドル・セルゲーエフさんとリハーサルをしてきます。伝統を受け継ぎつつ自分らしく踊りたいですね。それを楽しんでいただければ幸せです」
取材・文:高橋森彦 (舞踊評論家)
撮影:バレエナビ編集部
リハーサル写真提供:法村友井バレエ団
☆★☆ 公演情報 ☆★☆
『白鳥の湖』全幕
日時:2013年10月12日(土)
演目:『白鳥の湖』全幕
芸術監督/振付:法村 牧緒
原振付:プティパ&イワノフ版参照
音楽:ピョートル・チャイコフスキー
◆メインキャスト
オデット/オディール 法村 珠里
ジークフリート王子 アレクサンドル・セルゲーエフ (マリインスキー劇場バレエ団)
ロットバルト 今村 泰典
王妃 宮本東代子
ピエロ 末原 雅広 (ソウダバレエスクール)
◆日時:2013年10月12日(土)
◆開演:18:30 (開場:17:30)
◆会場:フェスティバルホール
◆入場料:S席 ¥8,500 /A席 ¥7,500 /B席 ¥6,000 /BOX席 ¥12,000 ※3歳未満の入場不可
◆主催:法村友井バレエ団
◆お問い合せ:法村友井バレエ団 06-6771-6475
投稿日: 2013 年 9 月 18 日
カテゴリ: インタビュー