海外バレエレポート(イタリア)27
ミラノ・スカラ座「ジゼル」
7月15日、夏のバカンス前の最後の公演「ジゼル」に足を運びました。
ジゼル役はプリマバレリーナのニコレッタ・マンニ。アルブレヒト役は、ロシアのウクライナ侵攻に反対し、2021年12月31日に任命されたばかりだったボリショイバレエ団プリンシパルの座を辞し、古巣であるミラノに帰ってきた、スカラ座バレエ学校卒の27歳、ヤコポ・ティッシが踊りました。
今回の私が個人的に注目したのは何と言ってもマンニのジゼルでした。こちらの連載の第2本目「椿姫」(⇒記事はこちら)の公演に関する記事で、マンニのタイトルロールのパフォーマンスについて、私は次のように書きました。
彼女は2014年に23歳でプリマに任命され、現在まだ26歳(中略)。彼女には乗り越えるべき大きな課題があると言わざるを得ません。テクニックの問題ではなく、演技の問題、いやむしろ彼女自身の問題と言った方がいいのかもしれません。というのも、彼女は何を踊っても、役より彼女自身の我の強いキャラクターが表に出てしまうのです。(中略)。舞台とは恐ろしいもので、オペラでもバレエでも、どんなに上手く演じても、その人の性格、おいてはその人の生き様がどうしても滲み出てしまうものです。彼女はまだ若いので、今後どのように変わっていくかは彼女自身にかかっています。せっかく確かなテクニックを持ち、若くしてプリマになるチャンスを得たのですから、是非どこかで気付き、何かが変わってくれることを期待したいと思います。
この記事の上演は2018年1月のことでしたので、マンニは今年の8月に31歳になります。この間、特にコロナウィルスのパンデミック中にスカラ座が多くUPした、リハーサルやインタビューなどの動画の彼女を見ながら、顔付きが随分変わって穏やかになったな、と思っていました。同じくスカラ座のプリンシパル、ティモフェイ・アンドリヤシェンコとのプライベートにおけるパートナーシップも継続して良好であるようなので、女性として落着いてきたような印象を受けていました。そのため、5年前なら最も向かなかったであろう、繊細でか弱いジゼルを、5年後の今彼女はどう踊るのか、非常に興味がありました。
そうして幕が開き、踊りながら愉しげに小さな家から出てきたのは、人を疑うことを知らない可憐な、紛れもない完璧なジゼルだったのです! そこにはバレリーナ、ニコレッタ・マンニの影はもはやありません。5年前とのあまりの違いに、本当に今日のキャストはマンニだったか、プログラムを確かめてしまったくらいです。この5年間で、どれだけ表現力をつけ、またおそらく人間としても成熟し、なんと素晴らしいダンサーに成長したことでしょう! こんなに役柄に入り込んでいる彼女は未だかつて見たことがありません。細かいひとつひとつの動作、表情まで考え尽くされたジゼル、それは最後のカーテンコールのお辞儀が終わるまで一貫していました。
この大きな変化の裏には、2021年1月末のコロナ渦に行われた、カルラ・フラッチによる「ジゼル」のマスタークラスが大きく影響しているのは間違いありません (動画のURLはこちら)。世界中で伝説のジゼルと呼ばれたフラッチは、残念なことにその4ヶ月後、5月27日にこの世を去りました。マンニには、フラッチからジゼルを託された、フラッチから受継いだジゼルを自分が背負っているという強い意識があったのだと私は確信しています。
日本では「プリンシパルになるのがゴール」のように思われがちですが、ヨーロッパではプリンシパルに任命されるのはスタート、大事なのはそこから引退までどういう道を辿るのかです。完璧に踊って当たり前、というポジションは決して簡単なものではありません。マンニの場合、23歳でプリンシパルになったので引退まで通常ほぼ20年強、その厳しいポジションで何を考えどう進化していくのか。今回のマンニを見て、彼女のこれからが本当に楽しみになりました。
最後になりましたが、ミラノに戻ってきて非の打ち所がない踊りを見せてくれたティッシ。長身、優雅さ、美しさと、直球のダンスール・ノーブルとして、ボッレの後を継ぐ存在になることは間違いありません。
若きひとりのプリマバレリーナが、テクニック一辺倒から、役に入り切ることに開眼し、芸術の高みの階段を登り始める様を目の当たりにし、とても感動しました。フラッチが前の世代から受け継ぎ、さらに自らが昇華したものを現代のダンサーらに伝え、そして彼女たちもいつの日か次の世代へその遺産を惜しみなく伝える。そうして連綿と伝統は受け継がれていくんですね。それはクラシックバレエのダンサーとしておそらく最も重要な責務でしょう。その場面に立ち会えることに大きな喜びを感じずにはいられません。
【追記】
この公演の直後の7月20日、ヴェローナのアレーナ劇場で行われた「ロベルト・ボッレ&フレンズ」の舞台上、1000人以上の観客の前で、ティモフェイ・アンドリヤシェンコはパートナーのマンニの前に跪き指輪を差し出し、喝采の中、マンニはそれを受け取りました。これでどれだけダンサーの精神面が踊りに反映されるかが証明されたと言えるでしょう!
記事:川西麻理
◆海外バレエレポート(イタリア)25 カルラ・フラッチ追悼ガラ公演
◆海外バレエレポート(イタリア)26 ミラノ・スカラ座「AFTERITE+LORE」
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投稿日: 2022 年 8 月 25 日
カテゴリ: 海外のバレエレポート