SHIVER 2020

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【バレエと日本舞踊(下)】~日本人の観方とは?伝説のプリマ、マイヤ・プリセツカヤが見たその光景~

伝説のプリマ、マイヤ・プリセツカヤの自伝「闘う白鳥」に、日本のバレエ観客についての描写がある。彼女が『シャイヨの狂女』を初演した際のこと。「開演前、黒髪の頭を下に向け、真剣にプログラムに見入り、これから始まるバレエの内容を研究している」-世界の舞台で踊ってきた彼女は、「日本人は知識欲が強い」とも書いている。

たしかに、新作バレエの公演後に、「全然わからなかった」などという声は良く聞かれる。事前予習はその対策だろう。ただ私は、「わからなくても、踊り自体を感じればよい」、と意見してきた。バレエについて「わかる、わからないは肝心ではない」と書いてきた。そこに拘るのは、日本人の悪いクセかもしれない、とも思ってきた。

おそらくバレエ以上に、「日本舞踊はわからない」という人は多い。ただ、舞台上の踊りが素敵かどうかを感じることはできる。私はそれでいいと思っていた。だが、日本舞踊を見はじめると、日本舞踊ならではの、その「わからない」理由が明らかになってきた。

まず、バレエとの大きな違いとして、日本舞踊(古典)は、歌とともに踊られ、その歌詞と振付が密接に連動している、ということが挙げられる。日本語の歌詞なのだから日本人にとっては何の支障もないはずなのだが、そこに大きな問題があった。古典の歌詞は、いわゆる「古文」なので、現代人の我々には、すんなりと理解できない。そしてその古文の歌詞には、駄洒落や掛詞なども盛り込まれている。たとえば、「朝夜」という歌詞に沿った振付が「麻を縒(よ)る」という、もうひとつの意味によった振付(マイム)になっていたりもする。真面目な文章がまるで「駄洒落」のような振付にもみえる。

古典の日本舞踊(そのルーツは歌舞伎舞踊)が誕生した当時の観客は、その歌詞を普通に理解していた。耳から聞こえる言葉のイメージと目で見る舞踊とを同時に解釈し、その「駄洒落」に笑ったり、「掛詞」を納得したりしていたのだろう。それは「わかって見る」(理解しながら見る)ということ。もしかしたら日本人の舞台を見る素地は、そこにあるのかもしれない。「わかって見る」ということは、日本人にとっては自然。「わかって見る」と、たしかに日本舞踊は途端に、面白いダンスとなる。日本舞踊を見るときは、事前に歌詞や解説を一読しておくと、さらに楽しめることとなる。

もうひとつ、日本舞踊では、一人の踊り手が何人もの人物を踊り分ける、ということも、日本舞踊を見る際に知っておきたいことだ。バレエではオデットとオディールの一人二役はあるが、オーラロ姫と王子の二役は、まずない。だが、日本舞踊では、ラブ・シーンも親子の触れ合いも一人で演じることができる。男性を演じていたはずの舞踊家がくるっとまわると女性になったりもすることができるのだ。強い武士の扮装をした男性役の舞踊手が、作品のなかで、劇中劇のように、自身と恋人を一人で演じつつ、昔の恋を語ることもある。「わかって見る」と、なるほど!と思えるが、やはり事前のちょっとした知識がないと、わけがわからない-ということを私自身何度も経験している。

日本舞踊家が表現するのは人物だけではない、動物も植物も山も海も風も雨も雪も。おそらくその対象は無限だ。
たとえば山を表すために、そのまま扇子を上下さかさまに示す(富士山のように)こともあるが、同時に、その山を見ている人を演じることもある。観客は、歌詞の言葉を捕らえているので、目から入るその表現は多少マニアックでも「わかって見る」ことができる。そしてそのマニアックな表現が、ダンスとして非常に面白いシーンであることも多い。

「わかって見る」ということを日本人は、歌舞伎が誕生したころから(400年も前から)意識せずに自然に行ってきたのだろう。プリセツカヤが指摘した日本のバレエ会場のその光景は、もしかしたら日本人のDNAに関わっていることなのかもしれない。

記事:桜井多佳子

藤間蘭黄HP : http://www.geocities.jp/rankoh_f/

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『戻り駕(もどりかご』 撮影:岡村昌夫(テス大阪)

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『流星(りゅうせい)』 撮影:岡村昌夫(テス大阪)