【PICKUPについて】

このコーナーはバレエナビが取材させて頂いたホットな話題を取り上げております。
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PICK UP!

安積瑠璃子(大阪バレエカンパニー)インタビュー~気品あふれるドラマティックなバレリーナの目指す先とは?

アーティストダンサーの登竜門となるべく2008年から大阪で催されている「天満・天神バレエ&ダンスフェスティバル」(実行委員長:舞原美保子)が2014年4月2、3日、東京に初上陸した。そのスペシャルガラ公演で鮮烈な印象を残したのが安積瑠璃子だ。『カルメン』(振付:田上世津子)のソロを披露し身長170センチのすらりとした美しい容姿と伸びやかな踊りによってファム・ファタール(運命の女)を体現した。色っぽいが芯の強さがあり気品あふれる。期待のホープに生い立ちやこれまでの軌跡、今後の展望を語ってもらった。

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バレエを習い始めた頃のこと、恩師の思い出

バレエを始めたのは親の仕事のために住んでいた北海道でのことだった。

「3歳か4歳の頃に母親が習わせようとして札幌舞踊会に連れて行かれました。千田雅子先生に可愛がっていただきました。発表会では千田先生の『青少年管弦楽』という作品でハープの子役を踊ったりしました。千田先生には踊る心と楽しさを教わりました」

小学校1年生のとき両親の都合で大阪に移り遠戚の安積由高が主宰する安積バレエ研究所(現・大阪バレエアカデミー)に入所する。ロシアのマリインスキー劇場傘下のワガノワ・バレエ・アカデミーと関係が深くワガノワ・メソード伝統保存日本センター認定校だ。現代表の橘照代とワガノワのマスターコースのライセンスを所持する田上世津子に学ぶ。

「橘先生は普段のレッスンのときから踊り方や表現の仕方を気にされる。でも厳しいことを言われても優しさがあるので気にはしなかったですね。今でもカンパニーのリハーサルの際に見ていただきますが、音の強弱が付いていなかったり表現が違ったりすると言ってくださる。田上先生にはワガノワ・メソッドを基礎から教わりました。今もカンパニーで先生のクラスを受けています。反抗期もすべて見ていただきお世話になっています」

カリスマ指導者として知られた安積由高(2004年没)の思い出を聞いた。

「お孫さんですか?とよく聞かれますが祖母の従兄弟にあたる遠い親戚です。厳しくも愛情にあふれた熱血漢の先生でした。クラス指導はしていませんでしたがリハーサルをチェックされていました。バレエだけでなくテーブルマナーなどしつけに厳しく生活を一から教えこまれる。勉強のことにも厳しくて成績表を持っていかなければならず進路も指導されました。テストの点が悪いと親にも電話がかかってきて叱られました(笑)」

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ワガノワ・メソッドに育まれる

幼時から本格的なロシア・メソッドで育った経験が現在の基盤になっている。

「年に2回ワガノワから教師を招くゼミナールが為になりました。キャラクターダンスのクラスもあってアリサ・ストローガヤ先生などロシアの宝のような先生をお招きし夏は2週間講習がありました。セミナー以外の期間も田上先生がワガノワのレッスンをしてくださる。後年ワガノワに留学したときも違いはないので困らなかったですね」

安積由高が長らく支部長を務めた日本バレエ協会関西支部では、年に1度「バレエ芸術劇場」を開催し、ロシアからの教師やダンサーを招き本格的な舞台公演を行っている。小学校高学年の頃から一流アーティストと共演する機会に恵まれた。

「ファルフ・ルジマートフさんとスヴェトラーナ・ザハーロワさんを招いたとき(2001年)に初めて出させていただきました。中学・高校生の頃では、セルゲイエフ版の『海賊』が印象に残っています。花園の場面のコール・ド・バレエを踊りました。アルティナイ・アスィルムラートワさん、リュドミラ・コワリョワ先生、ワジム・デスニツキー先生がいらして面白いリハーサルでした。オーケストラの生演奏で指揮者はマリインスキー劇場のワレリー・オフシャニコフさん。完璧な素晴しい舞台でした」

日々レッスンに励みつつカンパニー公演や「バレエ芸術劇場」に出演するかたわらコンクールに出るようになる。小学校5年生のとき大阪Prix第1回クラシックバレエコンクールに出場したのが初めて。翌年同コンクールジュニア2部第1位を獲得。その後も複数のコンクールで第1位に輝き実績を残すが得意ではなかったという。

「元々コンクールというものをよく分かっておらずリハーサルも苦手でした。名古屋のコンクールに遠征する際に先生は付き添いますが同年代では私しか出ていなかったので1人なのが辛くて……。それに教室のレッスンは火曜日がお休みなのにコンクールに出ると火曜日もおいで!と言われる。それが嫌だったんですね(笑)。緊張するので本番もあまり楽しいとは思えなかった。「バレエ芸術劇場」の全幕の後ろに出ている方が楽しいなあと」

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17歳での異例の抜擢を経てワガノワ留学へ

17歳で「バレエ芸術劇場」の『くるみ割り人形』全幕の主演マーシャ役に抜擢される。王子役はマリインスキー・バレエのプリンシパルだったアンドリアン・ファジェーエフ。全幕を通して出演し終幕では王子とグラン・パ・ド・ドゥを踊るバージョンである。

「初主役ということもありましたし相手がファジェーエフさんだったので緊張しました。パ・ド・ドゥを踊ったこともほとんどなく周りの方々に支えられました。ファジェーエフさんが直前にしか来日できないので男性の方が代わりに入ってくださった。リフトのやり方などをアドバイスいただき優しく頼もしかったです。本番では失敗した部分もあって、舞台って、これほどまでに緊張するんだ……と思い、そのとき初めて舞台は怖いと感じました。ありがたい経験でしたが先生方はよく任せてくださったと思います」

その後の2007年、ワガノワ・バレエ・アカデミーに1年間留学(最終学年)した。

「教室からは新国立劇場バレエ団で活躍された西川貴子さん以降先輩方が行っていらっしゃるので留学先はワガノワしか考えませんでした。コワリョワ先生に教わりました。ちょうど9年生のクラスができたばかり。8年間のカリキュラムで育ってきている学年なので演技やキャラクターダンスのクラスはなくクラシックやデュエットのクラスを受け、あとはリハーサルばかりでしたね。最初は体型の違いに悩み鏡の前に立つのが嫌でした。マリインスキー劇場の舞台に立てるのは嬉しかったです。『くるみ割り人形』学校公演や卒業公演に出ました。卒業公演では『ダイアナとアクティオン』を中家正博さんと踊りました」

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帰国後の活躍そして未来へ

卒業後は大阪に戻り毎秋の大阪バレエカンパニー公演、新春に行われる「バレエ芸術劇場」で主要な役を踊りつつ日本バレエ協会「全国合同バレエの夕べ」や「天満・天神バレエ&ダンスフェスティバル」に出演する。帰国後特に印象に残っている舞台・役柄を聞くと2012年の「バレエ芸術劇場」で上演された『眠れる森の美女』のカラボスを挙げた。

「例年マリインスキー劇場の演出に基づいた舞台を上演しているため20代前半で老婆役をするのか!?と思ったのですが、田中祥次先生が演出されたバージョンで、よく動きました。あそこまではっきりした悪役は初めて。『バフチサライの泉』のザレマや『ジゼル』のミルタとか悪役的な役を踊っていますが、そのときのカラボスほどの悪役は経験がなかったので勉強になりました。恥ずかしさとかを全部かなぐり捨てて踊りました」

自身も育った大阪バレエアカデミーにおいて後進の指導にもあたる。安積由高が亡くなって早10年――アカデミーそしてカンパニーの現在についてこう語る。

「先生が大切にしていらっしゃったロシア・バレエの伝統は変わっていないと思いますし、これからも下の世代に頑張って欲しいです」

最後に踊りたい役や今後の抱負を聞いた。

「去年のカンパニー公演で『シェヘラザード』のパ・ド・ドゥを踊りました。いつか全幕を踊りたいですね。『くるみ割り人形』は初主役時に失敗した所もあるのでリベンジしたい。ストーリーを演じることが好きなので、こういうストーリーが見えて、ああいうストーリーが見えて……というふうに、お客様に何かを感じてもらいたい。ドラマティックなダンサーになりたいですね。『バフチサライの泉』のザレマをカンパニーの先輩が踊っていらっしゃるのを観て素晴らしいと思いました。先輩のようになりたい。私も1度踊りましたが、また違ったザレマを演じられるのではないかと思います」

取材・文:高橋森彦(舞踊評論家)
撮影:石川陽
取材場所:横浜ベイシェラトン ホテル&タワーズ ロビーラウンジ「シーウインド」

 

ロシア国立ワガノワ名称バレエアカデミー認定校
大阪バレエアカデミー 大阪バレエカンパニー
http://www.osakaballetacademy.com/

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